虹色のランドセル
最近は、たくさんの種類の色のランドセルが出回っています。女の子は赤、男の子は黒と決まりきっていた私の小学生の時代とは大違いです。
4月の晴れやかな新スタートの前には、必ず巣立つための別れの儀式もあり、少しずつ桜のつぼみが膨らみ始める3月の終わり頃になると、私はいつも思い出すことがあります。
大阪のとても有名な商店街の奥まったところに、様々な理由があって親と一緒に暮らすことのできない子どもたちを預かる施設がありました。私はそこへ子どもの遊戯療法のために、2年間ボランティアで通っていたことがあります。
担当した男の子、みっ君(仮名)とは出会いのときから何となくウマがあって、プラスチックの剣でチャンバラをしたり、ブルーシートをプールに見立てて泳いだり、箱庭の砂で遊んだり、アクティブな時間を過ごしました。しかし、ある時、メチャクチャに荒れてしまって、剣で執拗に私を責めてきたことがありました。攻防に必死で、みっ君の気持ちに寄り添う言葉を私はみつけることができませんでした。
疲れ果てて、商店街を歩きながら駅に向かう道で見つけた母の日のカーネーションの植木鉢。「そうだったのか」と心の中でつぶやきました。施設から通う幼稚園での母の日参観、みっ君の姿を見に来る母親の姿はなかったはずです。
その日を境に、みっ君との遊びは変わりました。ままごとをして一緒にお料理を作り、一緒に食べて、絵本も一緒に読みました。みっ君はなんでも「一緒にしよう」と言いました。
3月、みっ君とお別れの最後の日、色紙で一緒にたくさんの花を作りました。
「ランドセルも筆箱も、みんな用意できたよ」と嬉しそうにみっ君は話しました。商店街の協力で、新1年生になる子どもたちに贈られるとのことでした。
「でもさあ、ランドセルの色、黒なんだ」
ちょっと残念そうに言うので、「みっ君、何色のランドセルがよかったの?」と訊いてみました。
「ぼくね、虹色のランドセルが欲しかったんだ」
「虹色?それは素敵やね」と応えながら、4月から小学1年生になるみっ君が自分自身に描こうとしている夢や希望を感じて、私は胸がいっぱいになりました。
「ねえ、抱っこして」
「ぼく、ひとりぼっちやねん」「お父さんもお母さんも、もう来ないよ」
そう言って、みっ君は私の膝にのってきました。でも、抱きつくわけでもなく、
スッーと私の膝から降りて、決然と言いました。
「ぼく、1年生になるんだよ」
「そうだね。カッコいいなあ」と、私はやっとの思いで応えました。
施設を出て、商店街を歩きながら植木屋の前で足を止めました。私はいつもそこで季節の花苗を眺めて帰っていたのですが、ふと、あの激しいチャンバラをした日のことを思い出しました。どうしてあの時「みっ君、今日はすごく怒っているんだね」と言葉にすることができなかったのだろうと思い、涙が溢れました。
店先にガーデニング用の小さな両手鍋の形をした植木鉢が4つ、無造作に置かれているのが目に入り、私は衝動的に「これ、ください」と店の人に言っていました。
「いくつにしますか?」
「全部」
私はどうしても、全部、持って帰りたかったのです。
毎年、その植木鉢に花苗を植えるのが私の楽しみになりました。何にしようと考えながら、色とりどりの花苗を買ってしまいます。どうしてもレインボーカラーになってしまうのです。そしていつも、みっ君は何歳になっただろうかと思います。
きっと今頃は、施設を出て社会人になって働いているのではないでしょうか。
今年、4つの植木鉢は、パンジーの花が満開です。